58歳で脳出血を発症
突然の脳出血・・・・・。
私は、脳出血になってもうすぐ3年になろうとしています。
当時、どんな感情だったのか・・・、どんな状況だったのか・・・
などを同じような立場になっている方に、少しでも分かってもらえればと思い
記事にすることにしました。
自己紹介
私の名前は石井忠といいます。1962年11月生まれ。
現在60歳。(2023年1月)
病気になったのは、57歳のとき。
まず、当時の状況からお伝えしたいと思います。
2020年5月7日
私は、自営業をしており自宅での仕事が多い日もあります。
5月7日は、知り合いと約束があったので、電話を待っていました。
14時過ぎに電話をもらい、1時間後に待ち合わせの予定でした。
その日は、妻も仕事が休みで自宅にいました。
私は、電話もらった後、椅子に座って準備をはじめました。
洋服を着替え始めて、何気なく左手を見ると小刻みに親指と人差し指が震えているのが分かりました。
「あれっ?どうしたんだろう・・・・。」
驚いた私は、妻に状況を話して「どうしよう、どうしよう・・・?」と考えていました。
はじめての症状で、普通ではない動きです。
そのうち、だんだん気分が悪くなってきたので、北里大学病院へ診察に行くことにしました。
北里大学病院
所在地: 〒252-0329 神奈川県相模原市南区北里1丁目15−1
電話: 042-778-8111
アパート住まいの私は、救急車を呼ぶ事に抵抗があったので、たまたま休みだった妻に車で病院まで送ってもらうことにしました。
30分位の距離でしたが、その間に私の意識は少しもうろうとしてきました。
車の中では、体がダルい、なんかボ~っとする、何となく呂律がまわらない・・・など、そんな状態でした。
その後、なんとか待合室に到着して診察を待っていたようです・・・・。
すみません・・・・。そこから記憶がありませんので、あとで教えてもらった状況を書いています。
診察を受けて医者に、「3ヶ月くらい入院しましょう」と言われ、このまま入院する前にレントゲンを撮るために私だけレントゲン室で座って待っていたようです。
なんとなくその時に、横になりたい・・・と思ったのは、覚えています。
その時に、意識をなくして、緊急手術になったそうです。
症状が出て2日後
意識をなくしましたが、翌日には目覚めました。
手術は、額の部分を開頭して管を入れて処置したそうです。
当時の私は、「誰か悪いやつらに捕まっている・・・」と、妄想をもっていたようです。
このような状態をせん妄(せんもう)と言うそうです。
頭の管や、鼻に入れているチューブを無意識に取り外さないようにしていたようです。
ベットの上では、両手をまったく動かせないように両脇からひもでしっかり固定されていました。
私は、「悪い奴らに何かで捕まっている・・・」という思い込みがあり、寝ているベットのマットに噛みつき穴を開けて、中のスポンジを一生懸命ちぎってばらまいていました。
その事は、今の自分の状況を誰かに知ってもらいたかった・・・、というのが理由です。
*ベットの修理代4万円ほど請求されたようです。
その他にも夜中に妻や母親の携帯電話に電話したり、警察に電話を掛けそうになったりといろんな人達に連絡して助けてもらおうとしていたようです。
後日、妻に聞いたら妻の携帯には、着信履歴が連続50件ほど私から連絡をしていたようです。
病院からの退院
脳の手術をしたあと、これからどうするか決めなければいけなくなりました。
妻がインターネットで調べたり、病院側といろいろ相談をしてくれて、「神奈川リハビリテーション病院」にお願いすることに決まりました。
神奈川リハビリテーション病院
所在地: 〒243-0121 神奈川県厚木市七沢516
電話: 046-249-2111
北里大学病院は6月9日に退院することがきまりました。
まとめ
病院では、看護師さんに多大な迷惑を掛けたみたいです。私もうっすらと覚えていますが、看護師さんを蹴ったり、物を投げたりと、散々だったようです。
せん妄などの病気、本当に恐いですね。


コメント